ヨーロッパの童話には、同じものに取材しながらストーリー展開が違うものがある。
その代表的なものの一つは『赤ずきん』。
ドイツの童話としての『赤ずきん』は、最後オオカミに食べられるが、
腹を割いて赤ずきんを出して「めでたし、めでたし」で終わる。
ところが、17世紀のフランスの作家シャルル・ペローが書いた赤ずきんは、
オオカミに食べられ「もう帰ってきません、おしまいです。」と
何とも後味悪く終わる。
そんな風に、フランスの作品にはちょっとシビアなものが多い。
サディズムという言葉で有名なサド侯爵が書いた小説に、
『美徳の不幸(Les Infortunes de la Vertu)』という作品がある。
いかにもフランス的と思えるこの小説を簡単に紹介すると、
「主人公のジュスティーヌは姉ジュリエットと共にパリの修道院で生活していたが
一家が破産してしまう。母は亡くなり父はイギリスに逃亡。
残された二人は修道院を出て暮らさなければならなくなり、姉のジュリエットは、
これで自由の身になったことを喜び、妹のジュスティーヌは悲嘆に暮れる。
そんな姉は妹に「男の愛人として生きる道もある」と諭すが、
妹はそんなことはできないとして二人は修道院を出てそれぞれの道を歩む。
姉は非道な道を歩んだが最後には、ちゃっかり伯爵夫人の地位と莫大な富を手に入れる。
妹は、正しい道を歩もうとつとめているのに
誤解を受けて重罪を着せられ投獄され処刑を待つばかりとなる。
その獄で、姉とは知らないでこれまでの経緯を告白する」というストーリー。
この中で語られるのは、
「美徳を守ろうとする者に不幸が襲い、悪徳に委ねるものには繁栄がやってくる」
という展開となる。
フランス人は、こんな風な現実があることを冷徹に見ているところがある。
かのサド侯爵から一世紀ほど前の時代にラ・ロシュフコーという著述家がいた。
彼が得意としたのは、警告の籠った『箴言集』。
その中の言葉にも、それらしい表現を見ることができる。
その箴言、
『我々の美徳というものは、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない』。
さすがにシビアな『赤ずきん』で育ったフランス人、
こういった作品を生み出す素地が整っているという気がする。
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